ナイジェル・マンセル伝説!ウィリアムズ・ホンダが懐かしい!

2020年の9月、F1チームの名門ウィリアムズから創業家が手を引くことが発表されました。近年の成績を見ればそれも仕方がありません。

私のような昔の人間だとウィリアムズと言えばホンダの頃が懐かしいです。そしてドライバーはマンセルピケですね!

ナイジェル・マンセルは私も好きなドライバーの1人でした。いや、一番好きなF1ドライバーかも知れません。

そこで記憶を辿ってナイジェル・マンセルについて、マンセルが現役の頃のF1、そして個人的に印象に残っているレースを記しておきたいと思います。

ウイリアムズ

 

ナイジェル・マンセルとは?

ナイジェル・マンセルはイギリスの元F1ドライバーです。と言っても今の若いF1ファンの方だピンとこないかも知れません。もちろん名前ぐらいは知っているでしょうけどね。

記録よりも記憶に残るタイプのドライバーでした。伝説のF1ドライバーと言っても過言ではないかも知れません。でも個人的には名ドライバーと言うタイプではなかったと思いますけどね。

いくつになったかと思ったら1953年生まれですので2020年には67歳ですね。そりゃわしも年取るはずですわ。

母国イギリスでの人気はもの凄いものがあり、「大英帝国の愛すべき息子」と言われていましたね。もちろん日本でも大人気で親しみを込めて「マンちゃん」とも呼ばれていましたね。

「荒法師」とも言われていましたが、これは古舘伊知郎さんが付けたのでしょうか。

あとマンセルと言えばカーナンバー5、通称レッドファイブですね!

 

また何度もあと一歩でチャンピオンになれなかったので「無冠の帝王」とも言われ続けましたよね。でもこれは1992年に念願のチャンピオンになり、返上しましたけどね。

そしてその次の年の1993年は活動の場をアメリカに移し、CARTでもチャンピオンになります。その後はまたF1に復帰しますが正直、復帰後はパッとしませんでしたね。

やはり年齢的にもピークを過ぎていたと思います。

 

マンセルは現在は何をしているのか

現役引退後はいろいろなカテゴリーのレースにスポット参戦したり、F1レースなどにゲストとして招ねかれたりしていますね。

また一時は二人の息子さんのレース活動のサポートが中心だった時期もあるようです。カート場を買収したは良いが近所の住民とトラブルになったりしたこともあるようです。マンセルらしいと言えばらしいですね。

2013年からはご長男の方と一緒に中古車ディーラーを開業し、またマンセル博物館を設立し運営しているとのこと。おそらくもう年も年ですし、マンセル博物館が中心ではないかと思います。

ちなみにマンセル博物館にはマンセルがチャンピオンを獲得したウィリアムズのマシンFW14Bや優勝トロフィーが展示されているとのこと。日本のファンにとってはウィリアムズ・ホンダの方がなじみ深いですしこちらを展示して欲しい気もしますね。

でも多分ないと思いますが、イギリスに行く機会でもあれば行ってみたいですね!

 

マンセルが現役の頃のF1グランプリ!

しかしマンセルが現役で頑張っていた、80年代後半から90年代前半の頃のF1は面白かったと思います。

わしだけでなくそう思っている方は多いのではないでしょうか。ドライバーもセナ、プロスト、マンセル、ピケ、ベルガーを中心に個性的なメンツが揃っていたと思います。もちろん日本人の中嶋悟、鈴木亜久里も参戦していましたしね。

 

わしも日本人ドライバー以外ではマンセルが好きでした。

マンセルの調子が上がらない年のF1はイマイチだったとすら思います。チームとしてはロータス、ウィリアムズ、フェラーリ、そして再度ウィリアムズに所属していましたが、やはりウィリアムズのイメージが強いですね。

フェラーリ時代は正直、プロストに押され気味でした。

 

凄かった!マンセルの伝説のドライビング!

マンセルと言えばやはりオーバーテイクですね。切れた時の走りはまさに神懸り的な走りだったと思います。

ここでは個人的に印象に残っているレースを紹介します。

1987年イギリスグランプリ

わしが一番印象に残っているのは1987年のイギリスグランプリですね。当時のシルバーストーンは改装前でしたからほぼ4つのストレートを結んだだけのような超高速サーキットでした。

マンセルはトップを走る同じウイリアムズピケとの30秒近い差をみるみるうちに縮めてハンガーストレートでオーバーテイクしたシーンは忘れられません。

ピケも車体を右に揺さぶって抵抗したんですけどね。

でもなすすべもなく、クロスするような感じになってオーバーテイクしていったわけですが、F1史上に残る名場面とも言われていますよね。

そしてその後のウイニングラン中に、興奮した観客が大量にコース内に押し寄せてマンセルのマシンの周りを取り囲み、ウイニングランが出来なくなると言うことが起きました。

ホームグランプリと言うこともありますが、いかにマンセルが人気があったか分かりますね!もちろん大勢の観客がしたことは褒められることではないですが。

ちなみにこの時の3位はロータス・ホンダのセナ、そして4位は同じくロータス・ホンダの中島悟でした。ホンダ勢のワンツースリーフォーと言うことですね!

1989年ハンガリーグランプリ

あとわしの記憶ではハンガリーとかモナコのようにオーバーテイクが難しいコースで最後尾ぐらいまで順位を落とした後、もの凄い勢いでオーバーテイクしまくって優勝したレースがあったと思うんですけどね。

どのレースだったかはっきり憶えていないですが、どうやら1989年のハンガリーグランプリだったようです。

それと最後尾ではなくて、予選12番手からのオーバーテイクショーでした。ただあのオーバーテイクが不可能に近いハンガロリンクですからね。12番手からでも驚異的ですよね。

マンセルと同じことが出来るドライバーはそうはいないと思います。

ミスも多かったが・・

一方、ミスも多くてよくクラッシュもしましたしコースオフも多かったですね。またスピンもよくしていました。

いつかのモンツァではスピンしてもコースオフもせず、何事もなかったようにそのまま走り続けたこともありました。タイムロスもわずか0.5秒だったそうです。

その他にも黒旗無視したりキルスイッチに触ってしまったりとか信じられないようなポカも何度かしでかしました。レース後に疲労困憊して立てなくなったりとかもね。

そういう良くない面も含めてとても人間味のあるドライバーだったと思います。しかし今のF1にはそういう個性のあるドライバーは少ないですよね。

 

マンセルの後継者っているのか?

しかし今の時代にマンセルの後継車と言えるようなドライバーっていますかね?ハイテク化されたマシンには感性でドライブするようなタイプは合わないと思います。

でも我らが小林可夢偉にはその個性があったような気がします。

ザウバー時代にはオーバーテイクキングと言われていましたし、実際に海外メディアでもマンセルと比較されていたはずです。もちろんマンセルには遠く及ばないは事実ですが、マンセルの域に近づけるよう何とか頑張って欲しいと応援しておりました。

でも結局、可夢偉もF1のシートを失ってしまいましたね。もうF1に復帰することはないでしょう。バブルの頃なら支援する企業はいたと思いますが、このご時世ではねえ。それも期待できません。

ただ今後も日本を代表するレーサーとして、日本のモータースポーツを引っ張って行って欲しいです。

そう言えばインディ500で優勝という快挙を成し遂げた佐藤琢磨マンセルと比較されていたような記憶もありますが、日本人ドライバーがマンセルと比較されること自体が日本人ファンとしてはうれしいですね。

 

最後に・・

今回は伝説のF1ドライバーの1人、ナイジェル・マンセルについて個人的に印象に残っていることを記事にしてみました。

繰り返しますが、マンセルに勢いがあった頃のF1は面白かったと思います。最もしたり顔で「今のF1は・・」なんて語るのは野暮ですけどね。

それでも個性的なドライバーが減ってしまったような気がします。

まあ個人的にはこれからも温度の差はあってもF1はチェックし続けると思います。また熱くさせてくれるドライバーが出て来るのを楽しみに待ちたいと思います!

そしてそのドライバーが日本人だったらうれしいですね。