初代MR2をご存知ですか?AW11と言う形式名で呼ばれることも多いです。
わしら世代のおっさんなら憧れていた方もいるではないでしょうか?やはり80年代を代表する名車の1台ですね!
何を隠そうこのわしも初代MR2 AW11の元オーナーでございます。そこで今回は初代MR2 AW11の思い出と個人的な評価、新型の噂などについて記事にしてみました!
もう旧車の仲間入りしてしまいましたが元オーナーの視点から語ってみたいと思います。
初代MR2 AW11とはどんな車?
初代MR2は1984年の6月に市販が開始された、日本初の量産型ミッドシップカーです。
出て来た時の衝撃は個人的にはかなりのものがありました。わしだけでなく当時の車好きの若者ならそう思った方は多いでしょうね。
1983年の東京モーターショーでほぼ市販型と同じモデルが出展されて、出ることは分かっていましたけどね。当然ながらその年のカーオブザイヤーにも輝きモータースポーツの世界からも期待されておりました。
ミッドシップと言うとフェラーリなど高級スポーツカーが中心です。当然ながら庶民では手が出ないですよね。
そんな中で国産のミッドシップカーが出たこと自体がエポックメーキングなことでした。値段も当時の86型レビンやトレノとそんなに変わらなかったはずです。
コストを抑えるために、エンジン、足回り、駆動系はFFのカローラのものを流用していましたね。このやり方は同じ小型ミッドシップのフィアットX1-9と同じです。
そのためスタイリングもX1-9と似ていると言われていました。
その後、マイナーチェンジをしてスーパーチャージャーが追加されて、1989年まで販売されましたが二代目のSW20型にモデルチェンジしました。
以下はGAZOOの公式チャンネルにあった、初代MR2の紹介動画です。
熊倉さんが解説して下さっています。
こちらは後編ですね。
AW11の思い出!
わしが乗っていたのは1985年式のGリミテッドです。約3年ぐらい乗りました。
ちょうど東京でサラリーマンやってた頃ですね。就職したばかりで金もないのに60回払いのローンを組んで購入しました。
原宿にある中古車屋で買いましたが地元に帰って来た時に「原宿で買った」と言うとなぜか「おー」と驚かれましたね。中古車なんてどこで買っても同じですけどね。
当時は浦安に住んでいたのでディズニーランドの周りや首都高や湾岸、第三京浜などを良く走っておりました。特に第三京浜は好きでしたね。
それから遠くは箱根や日光にも走りに行ったこともあります。当時の日光のいろは坂には週末ともなると、数百台の走り屋さんが集まっていました。
わしもそれなりに自信はありましたが全然ついて行けなかったです。そのためと言うわけではないですが、タイヤとショック、ブレーキパッド、タワーバーなどを入れましたね。
その他、テニスをやりに軽井沢や清里、山中湖などに行ったのもMR2です。今となっては懐かしいですね。
思えばあの頃はわしも希望に溢れていました。まさかこんな人生が待っているとは思いませんでした。
AW11のデザインの評価は?
わし個人は基本的にデザインは好きでした。乗っていたぐらいですから当然ですけどね。
ただ全長3925、全幅1665というコンパクトなボディはいいですが、全高は1250あります。その後にわしが購入して20年以上乗ったユーノスロードスターはほぼ同じ全長、全幅で全高は1235ですからね。
やはりよく言われることですが、全高が少し高いと思います。せめてあと2センチ低かったらデザイン的にはかなり良くなると思いますが。
せっかくのミッドシップですからねえ。もう少し何とかして欲しかったと思います。最もこれは2代目MR2にも言えますが。
それでも定規で書いたようなカクカクとしたデザインが好きと言う方は多かったと思いますけどね。乗っているとそれなりに人目も引きましたしね。
女の子受けも結構良かったです。今と違って80年代は女の子も車好きの子は結構いましたからね。
AW11の走りの評価
繰り返しますがわしが乗っていたのはまだスーパーチャージャーが出る前の、NAのGリミテッドです。ですのでその評価になります。
で、走りの方ですがミッドシップでエンジンが4AGと言うこともあり、それなりに楽しかったです。ライトウェイトスポーツとして一応は評価出来るデキだったと思います。
4AGは今となっては非力だったかも知れませんが、当時ならそんな印象はなかったですし、レスポンスもよく上まできっちりと回りますからね。
でもそんなにクイックなハンドリングではなかったですね。良く言えば安定志向に振ったハンドリングだったと思います。
悪く言えばグニャグニャしたハンドリングと言ったところでしょうか。当時は足回りはショックを交換したぐらいでしたが、バネも変えてきちんと調整すればまた違ったと思いますけどね。
ただわしがその後に乗ったユーノスロードスターと比較すると・・・
ハンドリングは下だと思います。もちろん少し世代が古いので仕方ないですが、ミッドシップですからね。もう少しハンドリングマシン的な味付けでも良かったと思います。
でも量産車ですからね。乗る方全員が走り屋とかモータースポーツ好きではありません。それを考えるとミッドシップのピーキーさを薄れさせて安定方向に振ったセッティングの方が正解かも知れません。
中古車はこれから値上がりする?
もうかなり前になりますが、何かの週刊誌を見ておりましたら「初代MR2が狙い目」という記事を目にしました。
雑誌名は何だったか忘れてしまいました。出版社、そして記事を書いた記者の方には大変申し訳なく思います。アホですみません。
それはさておきその記事には古いポルシェが値上がりしていること、日本車でも初代GT-Rが値上がりしていること、そして次は初代MR2が狙い目ではないかということが書いてありました。
実際にその記者の友人が、初代MR2を50万で買って50万かけて整備して、1年乗って110万で売れたということです。
まあ儲けが出たというほどでもないですが、考えてみれば新車を買って3年で買い換えるより得ですね。もちろん程度がそこそこのものでないとだめですけどね。
確かにひと昔前に比べてポルシェに限らずS30フェアレディZとかの値段は高騰してますよね。
オリジナルの状態で保存するだけでなく、エアコンやパワステ付けたりエンジンを乗せ換えたりして現代の車のような感覚で乗ることが出来るようチューンされた個体の値段の高さにもびっくりします。
そうでなくても旧車が全体的に値上がり傾向にあることは間違いないですし、古くなればなるほどジリジリと値上がりするのは当然だと思います。
ただ初代MR2は一部の極上車や走行距離が極端に少ない車以外は現時点では高騰はしていないと思います。やはり後継モデルのSW20型が存在しますからね。
むしろSW20の最終モデルの極上車の方が値上がりしているような気がします。まあ90年代のスポーツカーの人気は根強いものがありますからね。
それと初代MR2に乗るなら転売して儲けようとかじゃなくて、本当に好きな方に乗って頂きたいと思いますけどね。
とは言えもしわしが大富豪であれば、広い土地でも買ってガレージを建てて古い車を集めるんですけどね。趣味八分、投資二分ぐらいでやれるものならやりたいものです。
まあ車を投機の対象にするのは問題があるでしょうけどね。
スバルと共同開発で新型MR2復活の噂も?
MR2 AW11も1989年に二代目のSW20型にバトンタッチして生産終了となりました。
SW20は排気量も2000となり、車格も大きくなってライトウェイトスポーツからミドルクラスのスポーツカーになりました。それでも今の感覚から言えば十分、ライトウェイトかも知れませんけどね。
当初は酷評され危険とまで言われたハンドリングも繰り返し改良を続けたことによって、最後のⅤ型はベストハンドリングマシンと評価されるぐらいにまでなりました。
しかしいつまでも生産・改良し続けるわけには行きませんからね。1999年に生産終了となりMR-Sがその後継となりました。その後MR-Sも生産終了となりトヨタのラインナップからミッドシップのスポーツカーは姿を消してしまいましたね。
まあ時代の流れもあるのでそれも当然です。
しかし、ここに来てMR2復活の噂も出て来ましたね!それもスバルと共同開発だそうです。86と同じパターンですね。
ただそうだととしたら86の後継車と言う位置づけになるのでしょうか?86は86でモデルチェンジして存続するんですかね?それとスバルは姉妹車でなくてまったく別のデザインになる?
本当復活するのか個人的には?ですが、それでもネット上では新型MR2のデザインも出回っていますね。でも大変失礼ではありますが個人的には微妙でございます。
まあまだ情報が少ないですから何を言っても想像にしかなりませんな。続報を待ちたいと思います。
最後に・・
今回はトヨタの初代MR2 AW11の思い出と個人的な評価、スバルとの共同開発による新型MR2復活の噂のことなどを記事にしてみました!
ただ評価云々は別にして東京に住んでいたバブルの頃に共に過ごした車ですからね。長いこと乗ったロードスターとは違った意味で思い入れがある車です。
でももし再び手に入れたらそれなりの出費は覚悟しないとだめでしょうね。まあyoutubeとかで見るだけにしておくのが無難でしょうな。
現在、MR2を所有しておられるオーナーの方には是非とも大事にして頂きたいと思います。