集団就職の最後はいつ頃&その後はどうなった?@名古屋

2017年の上期のNHKの朝ドラは「ひよっこ」でございます。

有村架純ちゃんが演じる主人公のみね子集団就職で東京に出て来ると言うお話ですね。みね子は家計を助けるために、家に給料の大半を仕送りします。集団就職で出て来た人もいろいろでしょうが、実際にみね子のような立場の人もたくさんいたでしょうね。

もちろん現実はもっと厳しかったかも知れません。集団で生活するだけでもドロドロとした人間関係もあったでしょうしね。

またドラマの舞台は昭和40年頃ですが、その頃は集団就職は特別なものではなかったと思います。ただふと気になったのは、集団就職はいつ頃まで続いたのか?と言うことです。

それと名古屋や一宮、岐阜にも集団就職で出て来た方がたくさんいましたし、その後はどうなったかも気になるので少しばかり調べてみました。

 

最後の集団就職はいつ頃?

今の時代はネットと言う便利なものがございます。それにwikipediaというものもありますので早速、調べてみました。

それによりますと、昭和52年が最後だそうですね。となるとわしら世代ぐらいがラストですな。と言っても制度としては無くなっただけで、実際にはその後しばらくは近い状況はあったのではないでしょうか。

でも10年後の昭和62年ぐらいになるとバブルの頃ですからね。日本中が好景気に沸いた時期です。工場も工業団地とか地方に誘致された時代でもあったと思います。

ですのでその頃になるとわざわざ出て行かなくても地元でも仕事はあったのではないでしょうか。となると昭和50年代末ぐらいまででしょうかね。

もちろんいつの時代も都会に憧れて出て来る人たちもいたでしょうけどね。

 

九州から名古屋、一宮に来た集団就職の女の子たち

私は10代の頃は名古屋市北区に住んでおりました。

高校の時の比較的仲の良かった友人が隣の西区の山田町と言う所にいて、よく遊びに行ったものでございます。その山田町のあたりに大きな紡績工場があって、そこにも集団就職来た女の子たちがたくさんいたのを思い出しました。

今となってははっきり覚えていませんが、工場の敷地内に寮があってかなりの人数がいたのではないでしょうか。

その多くが九州からだそうです。年齢的には私たちと同じくらいか少し上ぐらいでしょうかね。そして夜は定時制高校に通っている方もたくさんいたでしょうね。

ただ当時の私たちにとってはそんなことには興味がございません。興味があるのは彼女たちと何とかお近づきになれないかと言うことでございます。そのため日曜日とかに何度か声をかけにいったような気がします。

あと何という会社だったかも忘れていましたが、ネットで検索するとどうやら愛知紡績と言う会社だったようですね。

跡地はmozo ワンダーシティになっているはずです。

 

それから愛知県で繊維の町と言ったら一宮市ですね。あと岐阜県になりますが大垣市もです。

当然ながら紡績工場も当時はたくさんあって、大勢の集団就職で出て来た女の子たちが働いていました。そういう子たちをバタンコと呼んでいましたが、今から思えばあまり良い言葉ではないですね。当時は普通に使っていましたが。

そして女の子たちがたくさんいれば、阿呆で助平な男どもも寄って来ます。

こちらのブログによれば、当時の名古屋の男どもは仕事が終わると一宮まで車で遠征していたらしいです。またこちらのブログでは閉鎖した大垣の紡績工場の画像をアップして下さっています。紡績工場の塀はかなり高かったそうですが、それは近所の男どもが忍び込まないように、と言う理由からだそうです。

男と言うのはまったくもって困った生き物でございますな。

 

集団就職~その後

ただ当然ながらドロップアウトしたりする方もそれなりにいたでしょうね。

「ひよっこ」でも陰山泰さん演じる乙女寮の料理人、森和夫の「今度の子たちは続くといいなあ。結局何人かは辞めちゃうもんな。辞めた後、いい話聞かねえからな」と言う感じののセリフがありました。

wikiによると離職率は15%~22%だったようです。この数字が高いのか低いのか分かりませんが、個人的にはもっと高いのでは?と想像しておりました。半分以上が数年のうちに最初の職場からは去るのではないかと。

そういう女の子たちの中には水商売とかに行く子もいたでしょうね。

 

岐阜には男性の欲望を満たす有名な歓楽街もあります。

そこで働く女性はとにかく九州出身の方が多かったそうです。その中には集団就職で出て来た方もいたでしょうねえ。最も私はかような所には行ったことがないので当然ながら聞いた話ですが。

すいません、ウソつきました。

就職して同期の連中と行った時に、出て来た女の子が集団就職で九州からこっちに来たと言っていたのを覚えています。

 

最後に・・

いずれにしても集団就職で出て来た男性も女性も日本の高度成長期を支えた一方の担い手であったことには間違いありません。

そういう方たちが頑張ったからこそ日本がここまで発展したと言えるかも知れません。それに仕事が終わってから定時制高校に通った方も多かったと思います。

考えてみればこれって大変ですよね。私だったら出来るかどうか分かりません。もちろん続かなかった方も多いでしょうが。しかしどうあれ15歳とか18歳で全然知らない土地に来て働くだけでも大変だったと思います。

それに比べると私などは本当に恵まれておりました。それなのにそれを生かすどころかこの年になるまで恵まれていたことすら気づきませんでした。

本当に情けないおっさんでございます。