ディズニーランドのある浦安は住みやすい?バブル期の住人の感想

私は今まで親の引越、父の転勤、自分の転勤や仕事の都合でいろいろな町に住んで来ました。

夏休みとか冬休みの時だけの短期も含めれば岐阜県の関市から始まって、多治見市、可児市、愛知県の名古屋市、岡崎市、豊橋市、春日井市、静岡県の富士市、千葉県の我孫子市、浦安市に住んだことがあります。

この中で一番住みやすかったというかまた住んでみたいなと思うのは、まずは10代を過ごした名古屋ですね。その他では浦安が気に入っていました。ディズニーランドで有名で、女性を中心に住んでみたいと言う方も多いですよね。

しかし浦安は住みやすい街なのでしょうか?そこで私自身の個人的な感想を述べてみたいと思います。

 

私が住んでいた当時の浦安について

ただ感想と行っても私が住んでいたのはもう25年ぐらい前のバブル期ですからね。

正直、まったく参考にならないかも知れませんが・・

私にとって、人生初のアパートでの一人暮らしでございました。東西線の浦安駅までは徒歩で20分と少し遠かったですが、江戸川沿いで出窓が付いていて結構、オシャレな外観のアパートでした。

間取りは1Kで家賃は4万円、駐車場は近所で別に借りて7千円だったはずです。今から思えばそんなに高くないですね。

 

ではなぜ浦安を選んだかと言うと、やはり東京駅まで東西線1本で30分ぐらいで行ける便利の良さですね。

それでいて当時は昔ながらの街並みとかも残っていました。元々は漁師町で気性の荒い土地だったみたいですけどね。

それでも全体的に見ればキレイな街と言う印象でした。それと適度な古さと新しさは混在していた街と言う感じでもありましたね。

 

浦安と言えばディスニーランド

それから浦安のイメージと言うとやはりディズニーランドです。そのおけげでオシャレなイメージもありますしね。

私が浦安市民だった頃に、名古屋の友人に「浦安に住んでいる」と言うと「スゲー」と感心されたものです。特に女性受けは良かったですね。

あとディズニーランドと言えば夜8時過ぎの花火ですね。引っ越した当初は毎日花火を見て喜んでいました。でも2週間ぐらいで飽きましたけどね。

さらにもっと後になると花火が打ち上げられる度に、「うるせーな」と思ってました。

 

当時は京葉線がまだ出来てなかったので、湾岸道路で帰ってくると段々とシンデレラ城が見えてきます。

これが見えてくると「帰ってきたなあ」という気がしたものです。

それからホテルもサンルートしかなかったのでディズニーランドの周りを走り屋さんたちも走っていましたね。恥ずかしながら私もよく走っておりましたがもう今は安全第一でございます。

時効と言うことでご容赦下さいませ。

 

ただ舞浜周辺はかなり変わりましたね。90年代前半に行った時にはあまりの変わりようにびっくりしました。

それでも東西線の浦安駅の周辺はそんなに変わっていないような気がしますけどね。少なくとも何年か前にいった時はそういう印象を受けました。

私が住んでいたアパートの辺りも行ってみましたが、アパートもまだありましたし周りもそんなに変わっていませんでした。

しかし震災の影響とかもあったようですので現在はまた大きく変りつつあるかも知れません。

住みやすい街なのか?

まあ住みやすい街かどうかは何とも言えないです。一人暮らしするには少し不便かなと言う気もしました。

1人で外食しようにもそんなに選択肢がなかったですからね。もちろん家族連れの方はまた違った感想になるかも知れませんけどね。

ただ先にも申しましたが当時は東西線で1つ前の駅の葛西周辺よりは家賃や駐車場代がかなり安かったですからね。それと東西線1本で日本橋まで行けると言うのも私にとっては魅力でした。

そう言った面からみれば住みやすい街ではあったと思います。

いずれにしても私は気に入っておりました。機会があればまた住んでみたい町ですね。

 

最後に・・

今回はバブル前期の頃に、浦安に住んでいた感想を語ってみました!

個人的にはとても気に入っていましたが、住みやすい街かとなると何とも言えないです。まあ浦安と言っても住む場所にもよるでしょうけどね。

駅の近くであれば問題ないと思いますし、現在はタワーマンションなども出来ていますからね。

一段とオシャレな街になっているように思います。それとディズニーランドがお好きな方であれば憧れの街でしょうね!