ディスコ「マハラジャ」が名古屋に復活→でも2019年に閉店・・

先日、名古屋にマハラジャが復活したという報道がありましたね。

約20年ぶりだそうですが、マハラジャと言えばバブル期を代表するディスコでございます。

いや~懐かしいですね。

・・・ってわしは行ったことがございません。ただ当然ながらマハラジャの名前ぐらいは知っていますし当時の熱狂ぶりも耳にしておりました!

それと個人的に気になったのは名古屋にマハラジャを復活させた社長さんです。そこで今回はマハラジャと仕掛け人の社長さん、ニュースの特集で久々にお姿を拝見した関口房郎氏のことアップしてみました!

追記 残念ながら名古屋のマハラジャは閉店してしまいましたね・・

社長さんも2019年の9月に亡くなられたとのこと。運営会社も破産してしまったようです。

やはり大箱はもう無理なのかな?これも時代の流れですかね。

ディスコ

 

伝説のディスコ「マハラジャ」について

わしも大学1年~3年ぐらいまでは当時の名古屋のディスコにもそれなりに行っておりました。でもその当時は当然ながらマハラジャはありませんでした。

いつ頃名古屋に出来たのかと思って検索してみたら、86年の終わり頃のようですね。わしはその頃には就職して東京におりましたので行けるはずがありませんな。

当然ながら東京にもあったわけですが、わしらの世代だとディスコと言うのはせいぜい21~22歳ぐらいまでというイメージがありましたからね。もちろん名古屋にもおっさんが多いディスコとか社会人中心のディスコとかもありましたけどどちらかと言わないまでもごく一部でした。

ですので特に行きたいとも思いませんでした。

ただ今となっては下の画像のようなワンレン、ソバージュでボディコンのおねーちゃんたちがお立ち台で踊る姿を見ておけば良かったと後悔しております。

しかし今さらながらマハラジャって凄かったようですな。

全盛期は全国に系列店も含めて68店舗もあったそうです。名古屋にも全部で7店舗もあったとのこと。そこで毎夜のように、饗宴が繰り広げられていた訳ですからね。

まさにバブルの象徴であり社会現象ですよね。思えばこの頃が日本のピークだったかも知れません。

わしも当時はこの先は良くなるものと信じ込んで生きておりました。まさかその後、こんな惨めな人生を歩むなんて思ってもみませんでした。

 

マハラジャ復活の仕掛け人の社長

そんなマハラジャも時代の変化や流れには勝てず、どんどん閉店してしまいます。名古屋でも90年代の終わり頃に閉店したみたいですね。

それを今回復活させた仕掛け人は玉木邦甫社長という方ですね。わしは存じ上げませんでしたがなんと!御年80歳とのこと。2年前の2014年にはマハラジャ大阪も復活させておられますね。

マハラジャは元々は大阪がスタートだったようですが、その1号店の経営陣の1人だった方だそうです。

それにしても80歳でこの事業意欲は凄いですね。最ももうお金とか物欲とかその他の欲とかが意欲の元ではないんでしょうね。

今回の復活でテレビのニュースなどにも取り上げてられていますが、インタビューで「もう一度中高年に元気になってもらいたい」と仰っておられました。

「音楽に合わせて踊るのは自然なこと。若い方から中高年まで世代を問わず楽しめる場所を作りたい」と言うような趣旨のご発言もありました。

また新店舗は元は結婚式場だったようですが、上のフロアはそのまま残っているとのこと。あとバリアフリーだそうです。これも時代の流れですね。

しかし80歳の方が引退なんてしないでこれだけ頑張っておられるんですからね。わしも意気消沈している場合じゃありませんな。

玉木社長には元気を頂きました。マハラジャ名古屋の成功を心から祈念致します。

 

機会があればマハラジャ名古屋に行ってみたい!

それとわしも機会があれば行ってみたいです。

youtubeにも2014年にオープンしたマハラジャ大阪やマハラジャ名古屋のプレオープンのイベントの様子がアップされています。それを見ると流れている曲は70年代、80年代の曲が中心みたいですからね。

アース・ウインド&ファイアーとかね。90年前後でもアースの曲が流行っていたんですかね。それなら先日行ったアース・ウインド&ファイアーのライブの時に、ケバいおばさんが多かったのもうなづけます。

また客層も若い方もいますが40代、50代の方が多そうな感じでした。考えてみれば90年に20歳だった方も今年46歳ですからね。

それも当然ですね。

 

関口房朗氏をやっとかめにテレビで見た!

それから東海テレビのマハラジャのニュースの特集を見ていたら、懐かしい人が少し出て来ました。名古屋弁で言うと「やっとかめ」でございます。

どなたかと言いますとメイテックとベンチャーセーフネットの創業者の関口房朗さんです。関口さんは経営者だけでなく、馬主でも成功されてフサイチという冠名の競走馬も一時はたくさんいましたよね。馬主としては日本とアメリカのダービーを勝つという快挙を達成しておられます。

またタレント活動のようなこともされていてテレビにもよく出演されていました。ニュースでもやっていましたがメイテック時代はマハラジャで入社式とかもやっていましたね。

F3000に岩城滉一さんをドライバーとして起用して参戦したり、フェラーリを社員に貸し出すなんてこともしてました。

「あの当時は少しやりすぎたね」と仰っておられましたが。

その後、どういう理由かはわかりませんが資金がショートして競走馬も手放されました。そして表舞台からも姿を消してしまいましたよね。

 

でも考えてみると2社も上場させるなんて凄いですね。他にはTHKの寺町博氏ぐらいしかいないのではないでしょうか。

ただ自分が創業した会社を2度も追われるように去ることなったようです。失礼ながら、やはり何か問題があるのでしょうね。

それでもわしは氏の著書も何冊か読みましたし結構ファンでございました。

ですので久しぶりにお元気そうなお姿を拝見できてうれしかったです。現在も名古屋在住なんですかねえ。

たださすがにお年を召されたという印象はありましたが何とかもう1度、復活して欲しいです!

でもさすがに厳しいかも知れませんね。

 

まとめ

今回はバブル期を中心に一世を風靡した伝説でのディスコのチェーン、マハラジャと名古屋に復活させた社長さんのことを中心に記事にしてみました!

しかし80歳になってもこの事業意欲は凄いと思います。もう事業と言うより別の何かみたいな感じなのかも知れません。

でもそれなりにお客さんでいっぱいになって、名古屋の名所みたいになればいいですね!それと機会があれば是非とも一度行ってみたいです。

追記 残念ながら閉店となってしまいました。でも80歳を超えてからの社長さんのチャレンジは素晴らしかったと思います。

私ではとてもマネ出来ません。ただもうディスコは過去のものなのでしょうか・・