父が旅立ちました。満90歳ですから大往生ですね。
ただ誕生日が近かったので何とかそこまでは、とも思ってましたけど。最も男性の平均寿命を越えてますからそう意味はないかも知れません。
3年近く前から認知能力が衰え介護関係でお世話になり昨年の10月からは医療機関でお世話になりました。これまで父の面倒を見て下さった方には感謝しかありません。
虫の知らせと言うやつ?
父は24年の8月6日の午後4時頃に旅立ちました。前回の面会時ももう何も分からなくなってましたが前の日に担当して下さってた看護師さんから連絡をもらい長くて数日だろうとのこと。
そこで6日の日に叔母と弟で面会に行って来ました。その後再度連絡を頂きもう危ないとのこと。
私だけ病院に戻りましたが最後には間に合いませんでした。
ただ・・
アホなこと抜かすなと思われる方もいるかも知れませんが、6日の日の前場にトレードしてたら父が寝てた部屋から人の気配がしました(ような気がした)。 2回ぐらい見に行ったけど誰もいるわけない。
でもこういうのが虫の知らせ言うやつでしょうな。 ああ、今日逝くんだなと思いました。
一応、家族葬と言う形ですが・・
父は私と違ってサラリーマンとしては成功した部類です。勲章とかも貰いましたしね。
また70代ぐらいの頃は高齢者のスポーツのサークルみたいなやつの役員や地域の役員とかもやってたはずです。
それなりに活躍した人間だと思いますが子供があかんかった。私はこの体たらくでと弟も障害持ちですからね。
ですので葬式と言っても叔父叔母含めた家族葬しか選択の余地はありません。しかし家族がいない輩が喪主の家族葬とはこれいかにでございますねえ。
せめて私に家族でもいればもう少し格好がついたかも知れませんが、父には申し訳ないですが寂しい葬儀でした。
人徳、コミュ力のなさ、人として最低のことも出来ない私が悪いです。 それにしても後悔先に立たずとはよう言うたものです。
葬儀を終えた今はすっきりしたような気もします。 もちろん寂しいとか申し訳ないとか悲しいとかいろいろと混ざった感じですけどね。
ただ今回よりも堪えたのは去年の10月に立てなくなって救急車呼んだ次の日。 先生の話聞いてもう家に戻ってこないかも知れんと思ったらヘナヘナになりました。
泣きはしなったっけど精神的にはかなり堪えましたね。 一緒にいた頃は酷いこと言ったりはよ施設に入れぐらいに思ってたクセに勝手の良い話です。
看護師さんたちが見送ってくれました・・
最後にお世話になった病院から葬儀屋さんにホールまで送ってもらたんですけどね。まあ当たり前ですがw
ただその時に看護師さんたちが5人ぐらい見送りしてくれました。 最後まできちんと対応して頂いてうれしいです。
そこでお礼と感謝の意を伝え、皆様に面倒みてもらって父も幸せだったと思いますと挨拶させて頂きました。あと皆様のご多幸をお祈りしていますとも。
それで2人ぐらい泣かしてやったぞ。 わしの勝ちやなw
それと介護の時にお世話になったデイサービスやヘルパーさん、今までにお世話になった病院の関係者の皆様には感謝しかありません。
おかげで私のようなものでも何とか父を送ることが出来ました。
最後に・・
私個人はどちらかと言えば両親とは確執があったかも知れません。それでも放ってはおけないですからね。
父の認知能力が衰えてからは自分なりに頑張ったつもりです。ですが私のような半端者では限界を感じたのも事実です。
それと少しは良い所を見せてやりたかったです。父だけでなく母にもですけどね。
でもこの年になってからでも何か出来ることはあるはずです。残りの人生を無理にでも良い方向に曲げるぐらいのつもりでやって行こうと思います。