ヘアリーセル白血病という病気があります。
白血病と言う名前が付いていますが白血病ではなく、悪性リンパの一種だそうですね。でも白血球や血小板が減少するので素人から見れば同じですよね。
そして私の母の病名がこのヘアリーセル白血病で、現在闘病中です。と言ってもすでに手の打ちようがない状態で対処療法だけですけどね。
でもどんな病気なのか気になるので少しばかり調べてみました。せっかくですのでシェアしたいと思います。
ヘアリーセル白血病の特徴
ヘアリーセル白血病の特徴は2つあります。
1つは日本人も含めた東洋人には非常に珍しい病気であること。
そのため日本には患者数が非常に少ないそうです。一方、西洋人には結構多いと言うことです。
2つ目は病気の進行が非常にゆっくりであること。
もちろん個人差はありますが、発症してから10年以上生きている方も珍しくないそうです。
また現在はクラドリビンという抗がん剤がこの病気にかなり効果的だと言うことが分かっています。そのため現在では不治の病ではなくなって来ているようですね。
もちろん合併症や他の感染症と併発しなければ、ですが。それと抗がん剤に耐えうる体力が必要です。
となると若い方~最低でも50代から60代前半ぐらいでないと厳しいかも知れませんね。
私の母の場合
私の母がへアリーセル白血病と診断されたのは2015年の12月でした。
すでに70代も後半でしたがその頃はまだ抗がん剤に耐える体力は残っていました。ですので抗がん剤治療をやってもらい、一旦は回復しました。
それが2017年の1月になって、再発したと言う形ですね。現在は当時とは別の病院におりますが、今の主治医の話だとある程度継続して治療を行う必要があったとのこと。
そうすれば少なくとも病気の進行は遅らせることは出来ただろうと。前の病院ではそんな話はなかったですからね。
心配しなくても治るという話もあったはずです。その点が少しばかり不信感を抱いている所です。
まあ日本人には症例が少ないので医者によってとらえ方は違うかも知れませんけどね。
と言うことで私の母の場合、現在は対処療法をしているだけの状態です。もう末期と言うことですね。それでも何とかならないものかと思いますし、少しでも長く生きていられることを願っています。
思えば母も私のような情けない男が息子でなかったら、もっと幸せで充実した人生をおくれたはずです。私のせいで罰ゲームのような人生だったかも知れません。
それを思うと本当に申し訳ない気持ちになります。ただまだ決着がついたわけではないですからね。
せめて桜が咲く頃までは無事であって欲しいと思います。そのためには祈りとか神頼みの類しか出来ないかも知れませんが、何でもいいのでやってみるつもりです。
母が旅立ちました
2017.3.16 追記
2017年の3月12日の午前4時頃に、母が旅立ちました。3日の日から容体が急変し、4日には意識もなくなったような感じです。
呼吸も困難な状態でかなり苦しそうでした。それでも抗生物質の点滴をしてもらったこともあってか8日にはコミュニケーションが取れるぐらいまで回復したんですけどね。
でも一時的でした。
私に何か言おうとしてましたが、私はこの調子なら明日はもう少し良くなるのではないかと思ってしまい、話をするのを止めてしまいました。
それが心残りでございます。
ただ最後の1週間ぐらいは本当に頑張ってくれたと思います。あれを見ていたら私ももう一度、命がけで頑張らないといかんと思いました。
そして何とかして這い上がろうと思います。普通なら逃げ込みとかリタイアとか考えてもおかしくない年齢ではありますけどね。
私はそんなことは言っていられません。でも這い上がった姿を母に見せてやれないのが悔しゅうございます。
最後に・・
今回は私の母が闘ったヘアリーセル白血病についてアップしました。
日本人には非常に少ない病気ですし、一応特効薬はありますからね。でも病気にならない方が良いに決まっています。
それと何よりも健康第一でございます。若い方でも体には気を付けて頂きたいですね。